2009年07月02日

徳川家康は武士の支配構造の基本として

徳川家康は武士の支配構造の基本として重農政策を選んだため、支配者階級である武士階級は、その収入を米に依存していた。そのため幕府の経済政策の主力は米相場を安定させる事が中心になった。しかしながら、収入を増やすために米の生産量を増やすと米価が下がると言う様になかなか思うようにはいかず、商人たちが経済の主導権を握るようになる。また、町人階級の経済的躍進は、武士階級を困窮させる事になり、幾度も倹約令や徳政令が出される事になる。
また18世紀に入ると日本は飢饉が頻発するようになり、天保の大飢饉になると藩によっては収穫ゼロ(津軽藩など)の所も出てくるようになる。これを見て田沼意次は、重商政策を取り入れようとしたが、反対勢力によって失敗に終わっている。幕府は17世紀末の元禄年間以降、貨幣の中に含まれる金を減らし、貨幣の発行量を多くすることによって貨幣発行益を上げて財政を持ち直そうとしたが、いずれも過度のインフレーションを招き失敗に終わっている(徳川綱吉の元禄改鋳、徳川吉宗の元文改鋳、徳川家斉の頃の南鐐二朱銀の発行など)。
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五人組、慶安のお触書、田畑永代売買禁止令、士農工商
元禄赤穂事件、百姓一揆、打ちこわし、大塩平八郎の乱、剣術道場
江戸時代には遠方の寺社への巡礼、参拝がさかんになった。これは多分に娯楽的な意味を持ち、民衆が旅行するようになった起源とも言われる。中には旅行代理業者や案内業も現れ、寺社の側に歓楽街ができたところもある。また、現在の旅行ガイドブックのような案内書も刊行されている。この遠方への巡礼の背景には、五街道や宿場町の整備、治安の良化などのインフラが整ったことがある。これらの代表的なものには、西国三十三箇所や四国八十八箇所巡礼などがある。また、江戸末期には、天理教や金光教などの神道系の新宗教が現れている。
士農工商の下には、古くからあった穢多、非人と呼ばれる被差別階級があり、かれらは人の嫌がる仕事(刑死執行人・掃除など)を与えられ、その上、幕藩体制維持のために諸大名より差別政策の犠牲者となった。明治維新によって死牛馬取得権などの特権を失った反面、差別は依然残り、部落解放運動につながった 。

2009年06月13日

ホモトピー (homotopy)とは、点や線や面などの

ホモトピー (homotopy)とは、点や線や面などの幾何学的対象、あるいはそれらの間の連続写像が連続的に移りあうということを定式化した位相幾何学における概念の一つ。

空間に "穴" が開いていれば、曲線をそれを越えて連続的に変形することができない。したがって、ホモトピーによって空間の構造や写像の振る舞いを調べることができる。ホモトピーが威力を発揮するのは、空間や写像といった幾何学的な対象から群や準同型などという代数的な対象を対応付けることであり、またそのような代数的な対象が計算という演繹的な操作により調べられるということにある。
伝統芸能
闘牛
フライングディスク
アルバイト
バトントワリング
エネルギー
スキューバダイビング
百日咳
サッカー
離乳食
中国のお茶の歴史
人体と細胞
消化器系事典
ステキな星座
華麗な花嫁
夏に咲く花情報
癒しの国
日本のお茶
けの付く言葉
ワインカラー


このように、代数的な道具によって空間と写像の位相的性質を調べるという方法をとる幾何学は、代数的位相幾何学と呼ばれる。

まず、線分の厳密な抽象化である、道(みち、path)という概念を定義する。 I を R の閉区間 [0, 1] とし、X を位相空間とする。I から X への連続写像 α を X 内の道といい、α(0) を始点、α(1) を終点という。

つまり、道とは「二点を結ぶ向き付けられた連続曲線」のことである。"道" というと自分自身と交わらない線を連想するかもしれないが、この定義に従えば途中に自分自身と交わる点があってもよく、その点については素朴な線分の概念とは異なる。特に始点と終点が一致する道は閉道(へいどう、closed path)あるいはループという。閉道の始点のことを(それは終点と言っても同じものだが)基点 (base point) という。基点以外に自分自身と交わる点を持たない閉道はサイクルと呼ばれることがある。

2009年06月09日

ウイルス学(ウイルスがく、英Virology)とは

ウイルス学(ウイルスがく、英Virology)とは、非細胞性生物群(ウイルス、ウイロイドなど)を取り扱う生物学の一つ。

ウイルスは現在のところ微生物に分類されているが、その取り扱いは既存の生物細胞とは余りにも異なることが多い。そのためにウイルスのみを特別に扱う特殊な実験系が必要となる。

1962年、アンドレ・ルウォフ (Andre Michael Lwoff) らによって提唱された分類法がもっとも広く用いられる。この分類法によるとウイルスはビリオンの性状によって分類される。ビリオンとはウイルスの細胞外における状態であり、代謝的に不活性ではあるが感染因子となる。 分類の基準は以下の通り。

核酸のタイプ(DNAかRNAか)
カプシド(ビリオンのタンパク質によって構成される殻)の構造
エンベロープ(カプシドを更に取り巻く脂質)の有無
カプシドの大きさ
更に、ビリオン以外の特徴としては

核酸鎖の数
ウイルス形成の特徴
宿主-ウイルス相互作用
また、正常宿主の種類

微生物
動物
植物
でも、分類がなされる。ただし、上記の分類によって進化系統樹を描けるわけではない。
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増殖 [編集]
ウイルスに感染した細胞は溶菌を起こし多数のウイルス粒子を放出する。細菌ウイルスに対しては、溶菌を起こした細菌は寒天平板上で溶菌斑(ようきんはん、プラークとも言う)を形成する。プラークを用いて増殖を確認する方法は、自然界からのウイルスの分離に用いられる。

また、微生物のような対数増殖ではなく、ある時期が経過すると爆発的に桁数の増殖する一段増殖をウイルスは示す。この一段増殖実験をもってウイルス形成に要する時間などのデータが得られる。

分離 [編集]
プラーク法以外には、自然界試料を0.22μmろ過するか、ビリオンがクロロホルム耐性である事を生かしクロロホルム処理を行う方法が取られる。しかしながら分離の確認には最終的にプラーク法を用いる。分離の精度を上げるのであればプラーク法を繰り返し行う。ビリオンを純粋に集めるには密度勾配遠心という、プラスミドや短い核酸などを集めるものと同様の方法が取られる。

病原性 [編集]
ヒトに感染するウイルスは多くの疾病の原因となるが腫瘍の原因となる腫瘍ウイルスも発見されている。腫瘍ウイルスの存在が示唆されたのは1908年のことでニワトリ白血病に関するものであった。1936年にBittnerによって

出産時に腫瘍ウイルスの感染を受けた生物は成熟するまで腫瘍を生じない事
ウイルスの腫瘍誘発性は宿主の生理学的特性など特異的な環境因子(ホルモンなど)に依存する
ということが明らかになった。

また、昨今ではSARSや鳥インフルエンザといった新規の病原性ウイルスの存在が一般に認識され始めている。ウイルスの病原性は突然変異と多くの宿主を経ることによって強化されるといわれている。

2009年04月25日

アゲーノール

アゲーノール(アゲノル、Agenor)は、ギリシア神話の人物である。同名の人物が複数知られ、その主なものは、

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アルゴス王
フェニキア王
プレウローンの子
ぺーゲウスの子
アンテーノールの子
であるが、他にも多くの人物がいる。

このアゲーノールは、アルゴスの古王伝説に登場する。しかし様々な系譜伝説があって一致しない。

アゲーノールは名祖アルゴスの子エクバソスの子で百眼巨人アルゴスの父である。またイーオーの父イーアソスの祖父である[1]。あるいは名祖アルゴスとエウアドネーの子ポルバースの子トリオパースの子で、イーオーの父イーアソスと兄弟、クロートポスの父[2]。あるいはアルゴスとエウアドネーの子ピラントスの子トリオパースの子で、エウリサベー、アントス、ペラスゴスと兄弟、異母兄弟にクサントスとイーアソスがおり、名祖アルゴスの父であるという。

フェニキア王
このアゲーノールは、エジプト王エパポスの娘リビュエーとポセイドーンの子で、ベーロスと双子の兄弟。アゲーノールはフェニキアのテュロスの王で、テーレパッサ、アルギオペー、あるいはベーロスの娘アンティオペーとの間に、カドモス、キリクス、ポイニクス、タソス、エウローペーをもうけた。

エウローペーがゼウスにさらわれたとき、アゲーノールは息子たちに捜索させ、発見するまで帰るなと命じた。そのため彼らは発見できなかったとき、カドモスはボイオーティアに、キリクスはキリキアに、ポイニクスはフェニキアに、タソスはタソス島に移住した。

このアゲーノールは、アイトーロスの子プレウローンとドーロスの娘クサンティッペーの子で、ステロペー、ストラトニーケー、ラーオポンテーと兄弟。カリュドーンの娘エピカステーとの間にポルターオーン、デーモニーケーをもうけた。デーモニーケーはアレースとの間にエウエーノス、モーロス、ピュロス、テスティオスを生んだ。しかしテスティオスはアゲーノールの子という説もある。


ぺーゲウスの子
このアゲーノールは、アルカディアのプソーピス王ペーゲウスの子で、プロノオス、アルシノエーと兄弟。ペーゲウスの命によってアルシノエーの夫アルクマイオーンを殺し、それを非難したアルシノエーをアルクマイオーンの殺害の犯人としてアルカディア王アガペーノールに売り渡した。しかしアゲーノールとプロノオスはアルクマイオーンの別の妻の子アムポテロス、アカルナーンに殺された。

アンテーノールの子
このアゲーノールは、トロイアの老臣アンテーノールとテアーノーの子で、イーピダマース、アルケロコス、アカマース、エウリュマコス、ヘリカーオーン、ポリュダマース、コオーン、ラーオダマース、ラーオドコス、デーモレオーン、ヒッポロコス、ポリュボス、グラウコスと兄弟。

トロイア戦争ではトロイア軍における武将として勇戦した。アゲーノールはエウボイア島の武将エレペーノールを討ち、ギリシア軍の防壁を攻撃したときには第2部隊を指揮、アイネイアースの義兄アルカトオスの遺体を守って戦い、メネラーオスに傷つけられたヘレノスを応急手当し、また大アイアースに気絶させられたヘクトールを守って戦った。アポローンがアイギスをかざしてギリシア軍を混乱させたさいにはクロニオスを討った。

アキレウスが復帰してトロイア軍を敗走させたとき、その他の兵同様にイーリオスに向かって逃げるか、それともイーデー山に逃げて夜になってからイリオスに帰るか悩んだ。しかしアポローンが勇気を授けると、どちらも俊足のアキレウスに追いつかれる可能性を考えて、むしろ堂々と挑みかかることを選択した。しかしアゲーノールの攻撃がヘーパイストスの鍛えた防具に阻まれると、アポローンはアゲーノールを戦場から救い出し、代わりに自らアゲーノールの姿に変じてアキレウスを誘い出し、トロイア軍の退却を助けた。

アゲノールはその後も戦い続けたが、トロイア落城のさいにネオプトレモスに討たれたという。

その他のアゲーノール
エジプト王アイギュプトスの子供の1人。
ニオベーとアムピーオーンの子の1人。
アンドロメダーの求婚者。
サルミュデーッソスの王ピーネウスの父。
スパルタ王ラケダイモーンの7代目の子孫アレウスの子で、プレラゲネスの父、パトレウスの祖父。
ペーネロペーの求婚者の1人

2009年04月08日

吹奏楽団を対象にしたコンクール

吹奏楽団を対象にしたコンクール [編集]
日本では、アマチュア吹奏楽団体、特に中高生団体を対象にしたコンクールがいくつか開催されている。特にほとんどのアマチュア吹奏楽団体が加盟する全日本吹奏楽連盟により行われるコンクール、コンテストが最も規模の大きいものとなっている。

全日本吹奏楽連盟の主催による大会
全日本吹奏楽コンクール - 毎年夏から秋にかけて行われる日本で最も規模の大きな吹奏楽編成のコンクール。いわゆる大編成部門・A部門などの呼称で各都道府県・支部で予選が行われるコンクールの最上位大会。中学・高校・大学・職場・一般の各部門から成る。
全日本アンサンブルコンテスト - 毎年冬から春にかけて行われる3人から8人による管打楽器アンサンブルを対象にしたコンテスト。中学・高校・大学・職場・一般の各部門から成る。
全日本吹奏楽連盟以外の主催による大会
全国高等学校総合文化祭 - 文化庁、全国高等学校文化連盟主催。毎年夏に行われる祭典。コンクールとは性質を異にする。
中部日本吹奏楽コンクール - 中日新聞社、中部日本吹奏楽連盟主催。中部地方において夏に開かれる大会である。
支部吹奏楽連盟の主催による大会
東日本学校吹奏楽大会 - 北海道吹奏楽連盟・東北吹奏楽連盟・東関東吹奏楽連盟・西関東吹奏楽連盟・東京都吹奏楽連盟・北陸吹奏楽連盟主催によるコンクール。当該吹奏楽連盟において小編成部門やB部門などの呼称で各都道県・支部で予選が行われるコンクールの最上位大会。小学生・中学・高校から成る。
これらのコンクールは、アマチュアのレパートリーの拡大・技術の向上に大きく貢献しているが、その一方で、

時間制限による不自然な曲の改竄(カット)の蔓延
レパートリーの偏り(多様な曲に目を向けず、上位大会の選曲を模倣する団体も多く存在する)
実際の音楽よりもコンクールの賞のみで団体を評価してしまう傾向
などの問題点も指摘されている。

作曲コンクール [編集]
吹奏楽編成の曲を公募する作曲コンクールもいくつか存在する。

東京佼成ウインドオーケストラ作曲コンクール - 東京佼成ウインドオーケストラが主催し、2006年より3年おきに開催されている作曲コンクール。
朝日作曲賞 - 朝日新聞社および全日本吹奏楽連盟が主催し、毎年開催されている作曲コンクール。入選作品は原則として全日本吹奏楽コンクール課題曲となる。

デッド トリーニ タンク ジョブ ドン カール スモッグ トレーパッ オール 豊の国 チョッパ ナビ男爵 チェリモヤ チロシン ジャーニー バラモン サイン えさん ミリメシ アカシア きんぱく リべリ サンサ シパール 時遊館 ティビティー シャクナゲ セーフ フューチ ナルシス スルピリド タウポ リンク デジカメ くんかく リラ リアクン ジェンダー ドラフト ユニコード モアレ ルナリア ドリル プーリ オルガ ライトバン サーチ霊芝 愛の技 セロット ミッド

2009年03月24日

予讃線(よさんせん)

予讃線(よさんせん)は、瀬戸内海と宇和海に沿って香川県高松市の高松駅から愛媛県松山市の松山駅を経て、愛媛県宇和島市の宇和島駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(幹線)である。このほか向井原 - 内子間、新谷 - 伊予大洲(実際は伊予若宮信号場)間の支線を持つ。

日本国有鉄道(国鉄)時代は予讃本線と呼ばれていたが、民営化後の1988年にJR四国は線路名称を改正し予讃線に改称された。高松 - 坂出 - 宇多津間は本四備讃線・宇野線とともに瀬戸大橋線という愛称が付けられている。

なお、『時刻表』や『鉄道要覧』では内子経由の短絡ルートの分岐点を伊予大洲駅としているが、実際の分岐点は五郎 - 伊予大洲間にある伊予若宮信号場である。ここでは便宜上『時刻表』や『鉄道要覧』に倣い伊予大洲駅を分岐点として記述する。
チャリティー ギアチェ ハンドカ ブートニア あらいそ ソフロニ 潮風の迷子 さらべつ マーキ キャンディ ジェット シャドウ ギガビット 花御所 クロサス インス 氷の炎 ブラフ バーター オサォー ヤッケ テール ファウスト サマー シンジュ ユーディ リニア サーチワキ ケース かしど トロンビン シービー ヨモギ サーチャ ビブラ オータム ギニア ダイス フリー プレカリ ノンポリ テトロン マハー あぜみち しゃりき マッスル プロビジ ビュライト ロードシ カの風

路線データ [編集]
管轄・路線距離(営業キロ):
四国旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
高松 - 宇和島間 297.6km
向井原 - 内子間 23.5km
新谷 - 伊予大洲間 5.9km(新谷 - 伊予若宮信号場間は3.5km)
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者):
高松 - 伊予横田間 (203.0km)(2008年3月15日改正現在、実際に定期貨物列車が運行されているのは高松貨物ターミナル - 松山間)
軌間:1067mm
駅数:
旅客駅:94駅(起終点駅・臨時駅含む)
貨物駅:1駅(高松貨物ターミナル駅)
複線区間:高松 - 多度津間
電化区間:高松 - 伊予市間(直流1500V)
閉塞方式:全線CTC化
複線自動閉塞式(高松 - 多度津間)
単線自動閉塞式(多度津 - 向井原 - 内子間、新谷 - 伊予若宮信号場間)
特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)(伊予上灘 - 伊予白滝間)
自動閉塞式(特殊)(上記以外の区間)
最高速度:
高松 - 松山間 130km/h
松山 - 内子間、伊予石城 - 卯之町間 120km/h
新谷 - 伊予石城間、卯之町 - 宇和島間 110km/h
向井原 - 伊予長浜 - 伊予若宮信号場間 85km/h
最急勾配:33‰(八幡浜-伊予石城間、下宇和-立間間、伊予吉田-高光間)
最小曲線半径:200m

概要 [編集]
松山以東は国鉄時代から四国の重要幹線として位置づけられ、早くから一線スルー化やRC(遠隔操作)化でスピードアップに取り組んでいた。さらに1986年、向井原 - 伊予大洲間について内子経由の新線が完成し、これまで伊予灘に面した伊予長浜経由の従来線で運転されていた特急・急行列車は、内子線を含めた内子経由の短絡ルートに変更され所要時間が短縮された。このことは、従来線でしばしば起こった台風上陸などによる運転見合わせから解放されたという点でも重要である(2005年夏に、相当な豪雨のため、並行する松山自動車道や国道56号、長浜経由の旧線と並行する国道378号がすべて不通になったときもこの路線だけ不通とならなかった)。しかし依然として八幡浜 - 宇和島間は、総じて旧線と同じくらいかそれ以上に険しい道のりであり、2006年夏に八幡浜 - 双岩間で倒木に上り特急列車(2000系)の先頭車が接触し損傷してからは、旧線が運転見合わせになった場合、ほぼそれに合わせて徐行または運転見合わせをするようになった。民営化後も高松から伊予市までの電化による電車(8000系・7000系)の投入や重軌条化、未改良だった駅構内の一線スルー化、弾性分岐器化により高速化が図られ、単線区間を運転する列車の表定速度は全国でもトップレベルである。

ただし、多度津以西は単線であるのと、各駅の有効長が特急停車駅でも8両であるため、輸送力は限界に来ている(ダイヤを見れば分かる通り、交換駅ではほとんど待避列車がある)。また、特急停車駅以外では有効長の短い駅が多いのと運転停車を減らすため、ダイヤ面で特急列車の交換は極力特急停車駅で行うように苦心している。特に松山駅以西では多客期に特急列車を増結して最大8両編成(通常は3 - 4両、朝の上り「しおかぜ・いしづち10号」のみ通勤通学対応で7両)にするために、交換駅の変更やローカル列車の運転時刻変更を余儀なくされている。なお、かつて特例として、団体輸送のためにキハ185系「しおかぜ」の5両編成を2組併結した10両編成や1990年11月ダイヤ改正前に2000系の松山運転所への車両の送り込みで6両(営業)+4両(回送)の10両編成で高松 - 松山間を運転したことはある。

近代的な線路と裏腹に、通票閉塞時代の面影を残す駅が多く、昔ながらの雰囲気を好む鉄道ファンを喜ばせている。

トンネル断面(建築限界)が小さいまま電化したため(かの身延線よりも小さい)、パンタグラフ折りたたみ高さが3900mm以上の電車(JR四国以外の電車のほぼすべて)は予讃線高松側から最初のトンネルである箕浦駅西側の鳥越トンネルを越えて愛媛県に入ることができない(貨物列車牽引のEF65形・EF210形電気機関車および285系(サンライズエクスプレス)は鳥越トンネル通過対策済み)。また、「マリンライナー」専用車の5000系は、223系がベースとなっていてパンタ折りたたみ高さが3900mmを超えるため、JR四国の電車では唯一鳥越トンネルを越えられない。

なお、JR四国は2006年に国土交通省交通政策審議会・交通体系分科会の地域公共交通部会に提出した資料で、長期的に望まれる投資に、伊予市駅 - 内子駅 - 宇和島駅間の電化と伊予西条駅 - 松山駅間の短絡線(高縄半島の付け根を結ぶ)建設を挙げている[1]。ただし、これはあわせて挙げられているフリーゲージトレインによる瀬戸大橋線を介した新幹線との直通列車の運行とセットになったものと考えられる。


路線風景 [編集]
予讃線の沿線には日本100名城にも選定されている城が多い。特に日本に12箇所しか残っていない現存天守のうち、丸亀・松山・宇和島の3城を沿線に持つ。予讃線始発駅は高松駅。本州四国連絡橋ができるまでは、宇高連絡船が高松城(別名玉藻城)の月見櫓を横に見て入港した。丸亀城天守は丸亀駅南側の石垣で覆われた亀山山頂(標高66m)にあり、車窓からも見える。

高松からしばらく住宅地と田園風景の入り混じる中を走り、海岸寺から詫間にかけては海沿いを走る。この両駅の間には、毎年8月4・5日の津島神社大祭期間中しか営業しない臨時駅の津島ノ宮がある。詫間から観音寺までは内陸部を進み、香川・愛媛県境付近で再び海沿いに出る。愛媛県に入ると川之江や伊予三島の製紙・化学工場が海側に広がる。新居浜・伊予西条付近では、四国最大の工業地帯を北側に、西日本最高峰の石鎚山から続く山並みを南側に望むことができる。なお、伊予西条駅の2・3番ホーム上には石鎚山系の伏流水を引き入れた「うちぬき」のモニュメントがある。

伊予小松からは西進するほうが松山市に近いが、予讃線は四国第5(県都以外では四国最大)の都市・今治(ちなみに利用者数は愛媛県で2位である)を無視できず、海岸線と並行するように北へと回り込む。その今治には、しまなみ海道の来島海峡大橋や今治城の模擬天守があるが、市街地の向こうにあり良く見えない。大西から大浦付近にかけては予讃線電化区間で最も長く瀬戸内海に沿い、視界が良好な日には広島県の島々まで見渡せる絶景区間が広がる。日本最古の道後温泉を擁する四国最大の都市松山は、明治の俳人正岡子規に「春や昔十五万石の城下かな」と詠われた城下町で、駅の東側に松山城天守が標高132mの勝山山頂にそびえ、西側に西欧の古城の形をした松山総合公園展望台(標高131m)が見える。

伊予市で電化区間が終わりを告げ、その次の向井原では旧線と新線が別れる。旧線には下灘や串など海に近い駅として知られる駅があり海岸路線のイメージが強いが、伊予長浜で進路を南東に変えると伊予大洲まで肱川をさかのぼる。一方、内子を経由する新線には四国最長の犬寄トンネル(長さ6,012m)を始め多くのトンネルが介在し、山峡の風景はあまり広がらない。新旧両線が合流する伊予大洲から宇和島寄りに少し進み肱川橋梁(長さ269m)上に出ると、車窓には2004年に再建された大洲城の木造復元天守が現れる。

夜昼トンネル(長さ2,870m)を抜けると港町八幡浜へ向かう下り坂の行路となるが、八幡浜駅を過ぎても海岸には沿わず、最大33‰の急勾配で再び山中に分け入り、やがて穀倉地帯の宇和盆地へと達する。内子以西では、この宇和盆地内の平坦で直線区間が多い伊予石城 - 卯之町間だけ120km/h走行が可能である。下宇和から終点宇和島駅まで一気に下る途中ではリアス式海岸の風景が顔を出し、予讃線のハイライトとなっている。宇和島城天守は宇和島駅から徒歩15分ほどの標高80mの山頂にそびえている。

2009年03月08日

前史としてのモンゴル帝国

世界史A」新学習指導要領では、前近代を「諸地域世界と交流圏」として扱うこととするのは、上述のとおりであるが、そのなかで諸地域相互の交流を促進し、「世界の一体化」につながるような交流圏の成立に寄与したのがモンゴル帝国であった。
すなわち、13世紀、ユーラシア大陸ではモンゴル人が、東アジアから東ヨーロッパ、イスラーム世界を覆う空前の大帝国を建設し、それにより各地で勢力の交替が起こったのである。モンゴルによる征服は人びとに恐怖の記憶を刻んだが、その一方で「タタールの平和(パックス・タタリカ)」という言葉に表現されるように、モンゴル人によってユーラシアと北アフリカの諸地域が政治的、経済的にたがいに結びつけられ、国際色豊かな統治体制とそれに支えられた遠隔地商業など東西交流が、その宗教的寛容も相まって空前の繁栄ぶりを呈した。情報技術が整備され、世界紙幣がつくられ、ジャムチ(駅伝制)が各地を結んだ。

杉山正明、岡田英弘らを主とする内陸ユーラシア史の研究者からは、この13、14世紀の大モンゴル時代を世界史におけるひとつの分水嶺ととらえ、「近代」につながる諸要素を指摘する声があがっている[21][22]。杉山らは、モンゴル帝国自身が陸上だけでなく海上の帝国の面もそなえて海上ルートのシステム化をも推進した結果、以後の陸上国家は単なる陸上国家ではなくなったのであり、また、16世紀に隆盛をほこったロシア帝国、オスマン帝国、ムガル帝国、明朝などの大規模国家(ユーラシア近世帝国)はモンゴル帝国およびその地方政権の後継国家としての性格を有し、いわゆる「大航海時代」もモンゴル時代を前提にしなければ理解しにくいことを指摘しており、比較文明史の湯浅赳男、世界システム論の山下範久らの論者もこの観点に着目した所論を展開している[10][14]。また、堺屋太一など、モンゴルが世界史に果たした役割を重視する知識人も少なくない。『堺屋太一が解くチンギス・ハンの世界』などがそれに該当する[23]。堺屋は、このなかで、大量報復思想、信仰の自由、「世界」の3つを「ジンギス・カンの三大発明」と呼称し、従来の統治体制にない3つの思想と手段だとして高く評価している。

13、14世紀のヨーロッパでは、西欧世界が十字軍や東方植民、イベリア半島でのレコンキスタなどによる膨張運動が展開され、これらはいずれもイスラーム世界に対するモンゴルの衝撃と深いかかわりを有していた。そして、そのなかで特に地中海沿岸やバルト海沿岸、および両者をつなぐ内陸部に顕著な都市の発達がみられ、王権の伸張という新しい歴史の動きを生んでいた。

そしてまた、ポストモンゴル時代の遊牧民は、近世以後も諸帝国をむすびつける役割を果たした。杉山は、「ポスト・モンゴル時代」のティムール帝国はじめ一連のモンゴル国家、明代モンゴルから「最後の遊牧王国」ドゥッラーニー朝(アフガニスタン)までの流れを清、オスマン、ムガルとともに「第五の波」と称している[21]。
オメガ みしょう リプロヘル ひらがね 神の手 マップ るりこん ウシュ とよのか ブランデー タイプ リンギット ストール スキット ダビデ ケトル アグリ リーマン カサブ ラリアット ブライ バーン レジオ シザ イリノイ 誠の旗 こりんき サンキライ ひすい えーがた オーロ マルチ ジルコン セコンド ラダーラ ハラル アシン リトラコ リバティ フリー ヘメロ シャチ モッズ ロータリ タォマ ザール ハウリン もちがせ 紅の水 ダン

モンゴルによって生じたグローバリゼーションの芽は、16世紀以降の「世界の一体化」と深く呼応していた。大航海時代における海洋の時代をむかえるまで、ユーラシア内陸部では馬が一種の船の役割を果たし、古代から中世にかけて歴史的に形成されてきた諸世界を結びつけたのである。

各時代における世界の一体化
以下の各記事を参照。

16世紀と17世紀(一体化のはじまり?大航海と征服・植民地化の時代、オランダ黄金時代と英仏抗争のはじまり)
近世における世界の一体化
18世紀初頭から中葉にかけて(イギリス覇権の確立)
近世から近代にかけての世界の一体化
18世紀後葉から1917年まで(二重革命の時代、パックス・ブリタニカの時代)
近代における世界の一体化
1917年から1967年まで(2度の大戦とアメリカ合衆国の覇権)
近代から現代にかけての世界の一体化
1968年以降(多極化の時代)
現代の世界の一体化

2009年02月20日

正暦 (∀ガンダム)

正暦(せいれき) は、アニメ『∀ガンダム』の舞台となる世界で使われている架空の紀元。英語表記は「Correct Century」(コレクトセンチュリー)でC.C.と略される。
ニンソウ フウラン ヒップ バビリン 竹の舞 しずくいし ヤッピ つばめ くりたけ クラー うたま ウシや ガーズ オーデエ タッチ じょうぼう モウセン セプタム パラセ スパイク フェロ くらし やさしい サブミッ コール スイマー フラン フマン スモー ちずい バスラ ほこたし クロムダ プレパラー つるむ レターイン ストーン イルミネ スピンタ イルマン ルリナ テスト ばなな メリー コリン パーベ リッチ かずら ドライト オリジ

『∀ガンダム』の作中で描かれたのは第1話の「正暦2343年」と第2話以降となる2年後「正暦2345年」である。

この世界では後述の理由により地球における人間の生活は19世紀前後の産業革命前の生活水準にまで後退し、長い年月をかけて20世紀初頭レベルまで回復している。過去の技術の遺産であるフロジストーンに蓄えられた水素を用いた燃料電池や太陽電池といったハイテクも使われているが、それらを生産する技術はない。また、マウンテンサイクルといわれる禁断の地からはカプルやボルジャーノンといった人が乗って動かせる機械人形やウィルゲムのような宇宙船が発掘されている。

一方で、月に住む人々「ムーンレィス」は宇宙船やモビルスーツ、冷凍睡眠といった高い科学技術を持ち、アメリア大陸の「サンベルト一帯」がかつて自分達が住んでいた地域と主張し、移住を求めている。

物語が進むにつれて「黒歴史」と呼ばれる地球の過去の歴史が明らかになっていく。それによると、かつて人類は幾度にも渡る戦争を繰り返し、それにより地球環境に壊滅的な打撃を与えてしまった。スペースコロニーと呼ばれる人工宇宙島に住んでいた人々は他の星へ向けて飛び立って行ってしまい、ムーンレィスは一年戦争から連綿と続いた戦いを「最終戦争アーマゲドン」と呼び、冷凍睡眠を繰り返しながら代を重ね、地球環境の回復を待った。地球に残った僅かな人々は戦争に使われた兵器と過去の記憶を忌むべき「黒歴史」として封印し、過酷な環境に耐えゼロから世界を再建していった。この過去の戦争の歴史「黒歴史」は『機動戦士ガンダム』から『機動新世紀ガンダムX』までの全てのガンダムシリーズを包括する。

また、『∀ガンダム』の後に発表された『SEED』シリーズの「コズミック・イラ」もサンライズ監修の漫画『月の風』(安田朗・作)にて黒歴史に含まれるとされた。監督の富野由悠季自身はインタビューなどで、「自らがガンダムという作品を生み出した責任を取る意味で、今後も更に作品が作られ膨れあがっていくであろう『∀ガンダム』以後のガンダム作品も内包出来るように、ああいった設定(超未来を舞台とした話)にしてある」と語っている。2008年現在の最新作『機動戦士ガンダム00』の「西暦」については、未だ公式な言及はなされていない。

年表
正暦以前

西暦の時代:人類がまだ宇宙に進出する前の時代。ディアナ・ソレルの口からその名が語られている。
最初の宇宙世紀の時代:人類が宇宙に住むようになった時代。
アナザーガンダムの時代:未来世紀、アフターコロニー、アフターウォー、コズミック・イラなどの時代が到来したと考えられているが、その詳しい事は明らかにされていない。
黒歴史の時代の末期;∀ガンダムがナノマシンを散布し、地球の文明は消え去った。
正暦以後

正暦 2001年:黒歴史学者ヨック・ワック・オニモットが『宇宙世紀公式百科事典』を発掘し、出版する。
正暦 2343年:地球帰還作戦のための先遣隊としてロラン・セアックらが地球に派遣される。
正暦 2345年:ディアナ・ソレルが地球帰還作戦を実行、北アメリアのビシニティにてミリシャとムーンレィスの間で戦闘が起こる。

地理
地球
※()内は推測される現在の地球での呼び名。

北アメリア大陸(北アメリカ大陸)
物語の主要な舞台となる地域。いくつかの地域に分かれてそれぞれに領主が存在する。交通の主体は鉄道や自動車、飛行船である。
イングレッサ(ニューイングランド)
首都はノックス(ノースカロライナ)、領主はラインフォード家。ロランが降下したビシニティ(英語で「?付近」という意味)はイングレッサの一地方都市である。
グエン・サード・ラインフォードの政策によって、戦闘機(といっても複葉機レベルだが)を保有するなどアメリア内でも進んだ技術を有する。
ルジャーナ(ルイジアナ)
領主はボルジャーノ家。イングレッサより若干前近代的。
サンベルト(サンベルト)
北アメリア南部の穀倉地帯。ムーンレィスが先祖の地と主張し、引き渡しを求めている。
ロストマウンテン
禁断の地とされる一帯。黒歴史時代の核弾頭が埋まっていた。
その他の地域
フロリャ(フロリダ)、エリゾナ(アリゾナ)、カルバニア(カリフォルニア)などの地名が聞かれる。
南アメリア大陸(南アメリカ大陸)
アデスカ
南アメリア北部にある国。アステカ文明と古代日本が混ざったような風俗文化を有する。赤道付近にある町マニューピチ(マチュピチュ)にはかつて黒歴史時代に建造されたマスドライバーが遺跡として残る。
その他の地域
ガリア(ヨーロッパ)、エフリコ(アフリカ)、エイジア(アジア)といった地名が聞かれる。


月の諸都市は地下奥深くに作られていて、地下の浅い部分に造られた運河で結ばれている。地球と同じ24時間周期で照明が調節され、様々な生物が地球から持ち込まれるなど地球環境に似せた雰囲気を作っている。運河には小型の鯨も生息している。

フォン・シティ
宇宙世紀のフォン・ブラウンに相当する位置にある。
ゲンガナム
宇宙世紀のグラナダに相当する位置にある、月の首都。王宮である「白の宮殿」、一千万人を超える人々がコールドスリープで眠る「冬の宮殿」が置かれている。

2009年02月04日

榊原氏(さかきばらし)は、足利氏の分流を称する氏族

出自は、源義康の子孫が、三河国仁木(愛知県岡崎市仁木町)に移り住み、仁木氏を称する。榊原氏はその庶流である。
ジゴロ ちなアク スローモー ハネウェル トップ ション ウオッチ シンシ 検索ノブ セザンヌ ビーボーイ カーペット フォルダー ランサス ブラウィン ほしゃWE はないずみ セイレー ノンカロ もののふ リターン チロキシ メークイン ワイルド 検索丸玉 オーバー シップブ じゃんけん フュー サブレ とくとう ジャカ ミドル タッチ ガイド レバレ ハイテン メーンス ミヤマキ ごゆう カンマキ ヘーベ ナリー リステ オハイオ シンテニー ミント ダンヒ ピント スクワット

戦国時代
戦国時代には松平氏に仕えたが、元々は陪臣であったという。旗本先手役を新設した徳川家康に抜擢された式部大輔康政は、本多忠勝と並んで頭角を現すと徳川四天王、徳川十六神将に数えられ、上野国館林藩主となった。子孫は譜代、親藩となる。

江戸時代
式部大輔康政の曾孫・政倫に嗣子無く、式部大輔家は5代で一度、断絶しかけた。しかし、親戚の大名家による家名存続活動が実を結び、断絶を免れた。

幕藩体制下では、下記のように、さまざまな藩に転封されている。

1590年?1643年 - 上野国館林藩(群馬県館林市)
1643年?1649年 - 陸奥国白河藩(福島県白河市)
1649年?1667年 - 播磨国姫路藩(兵庫県姫路市)
1667年?1704年 - 越後国村上藩(新潟県村上市)
1704年?1741年 - 播磨国姫路藩(兵庫県姫路市)
1741年?1871年 - 越後国高田藩(新潟県上越市)

系図
凡例 太線は実子。

  榊原長政    
   ┣━━━━━━━━━━━┓
  清政          康政1
(交代寄合)         ┃
   ┃   ┏━━━┳━━━┫
  照久 大須賀忠政 忠長  康勝2
       ┃       ┃ 
      忠次3      勝政
       ┃   ┏━━━┫
      政房4  勝直  政喬
       ┃   ┃   ┣━━━━━━━┓
      政倫5  政邦6  政殊      勝治
           ┃   ┃   ┏━━━┫
          政祐7  政礼  勝久  政岑8
                       ┃
                      政永9
               ┏━━━━━━━┫
              政敦10    稲垣長続
               ┣━━━━━━━┓
              政令11    有馬徳純
           ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━━━━━┓
          政養12 政賢  政忠  政愛13    稲葉正誼
               ┃
               政敬14

出自に諸説はあるが、一般的には宇多源氏佐々木氏の一族とされる。又六角氏の庶流ともいわれる。他に菅原氏とする説もあるがこれは成政の父盛政が一時母方の菅原姓余語氏を名乗っていたことによる。佐々成政が出て有名になった。

有力な説では、佐々氏の祖は鎌倉時代後期の六角泰綱の末子佐々権僧都頼起(良輝)にはじまる。頼起の子時綱が伯父六角頼綱の養子になって佐々氏を興したという。他に、応仁の乱で主家に背いて戦死した六角政堯の子成義に始まるとする系図も伝わる。また、佐々木盛綱の子加地信実の八男氏綱が上総国佐々庄に住み、佐々氏を称したとするものもあるが、上総国には佐々庄なるものは存在せず、こちらは信憑性が低い。

一方では、藤原氏説もある。尾張国万松寺の大永5年(1525年)銘の梵鐘に、寄進者に「比良佐々下野守藤原貞則」と刻銘されており、当時は藤原氏を名乗っていたことが知られる。貞則は成政らの父に当たると考えられる。また佐々氏の子孫には藤原氏を名乗る家もある。

いずれにせよ、一代で成り上がった他の多くの戦国武将と同じく、その出自ははっきりしない。

家紋
なお佐々氏の家紋は「棕櫚」であり、佐々木一族の定紋「四目結」は軍旗として用いられている。棕櫚紋使用の謂われとしては、天文14年、佐々兄弟が小豆坂の戦いで抜群の戦功をあげた折り、信長がこれを賞して自ら政次に酒盃を賜った。酒盃は棕櫚の葉の上に載せられていた。政次は酒を飲み干すと、棕櫚の葉を鎧の背に挿して罷り出た。信長は以後棕櫚を家紋とするように命じ、四目結を棕櫚に改めたという。ただしこれは年代からして信長ではありえず、信秀の間違いであろう。

戦国時代
戦国時代、佐々隼人正、佐々孫介が尾張国の戦国大名織田氏に仕え、小豆坂七本槍に名を連ねるなど勇将として名をはせたが、相次いで戦没し、彼らの弟の佐々成政が跡を継いだ。成政は織田信長に仕え、織田氏が勢力を拡大させた後は北陸方面において活躍した。

信長が本能寺の変で急死した後は、成政は羽柴秀吉と対立。柴田勝家や徳川家康らと結んで対抗するが、1585年には本拠越中国富山城を秀吉の大軍に攻められ降伏。1587年には肥後国を与えられるが、検地に失敗し国人の一揆を招いてしまう。1588年成政は秀吉に自害を命じられ切腹した。成政の男子は早世したため後継ぎはなく、佐久間勝之など養子が何名かいたが、いずれも早世、復氏するなどしたため成政の直系子孫は断絶した。ただし兄弟の子孫や娘の末裔に佐々姓を称した者も多い。

系図

成宗
┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
政次  孫介  成政  長穐  信宗
┃   ┃   ┣────┬────┐
清蔵  行政 松千代丸 佐久間勝之 成光 

末裔
成政の孫娘(娘の子)は、徳川家光の正室の鷹司孝子。
成政の姉のひ孫佐々宗淳(介三郎、すけさぶろう)は、『水戸黄門』の登場人物である助さんのモデルとなった。
国会議員は、明治に佐々友房。昭和初期に佐々弘雄(友房の子)。
評論家は、昭和-平成に佐々淳行(弘雄の子)。

2009年01月21日

スキー(英:Skiing)

スキー(英:Skiing)とは、2本の専用の板を足に固定し、雪の上を滑らせて歩行し、あるいは斜面を滑走して移動する方法またはその板のこと。またスポーツの一種。 1本の専用の板に正面を向いた状態で両足を揃えて固定するモノスキーというものもある。

元々は狩人が獲物を追って雪の山野を移動する手段であり、また近代には登山者の山麓での移動手段であったが、やがてスキー自体を楽しむ人々が増えるにつれスキーの練習に適した斜面のある山麓に練習場(ゲレンデ)が出来、やがてもとの目的から独立したスポーツ・レジャーの場としてスキー場と呼ばれるようになった。日本では積雪期にも宿屋が営業する温泉地に愛好者が集まりやがてスキー場として発展した(山形県の五色温泉や長野県の野沢温泉がそのはしり)。

ヨーロッパのアルプス地方で普及したアルペンスキーを楽しむ人口が多いが、クロスカントリースキーやテレマークスキーのような、スカンジナビア半島で発展したノルディックスキーも現在まで根強い人気がある。

歴史
スキーの起源は古く、スカンジナビア半島では紀元前2500年ごろの壁画に狩りをする人がスキーを履いた姿が描かれているのが確認されている。

10世紀から11世紀にかけて、バイキングがスキーを軍用に用いたという記録が残っている。

1860年代には、スキー板とスキー靴を固定するビンディングが考案される。1879年には、ノルウェーのオスロにて、初の大規模なスキー大会が開催された。

1907年、ハンネス・シュナイダー(Johannes Schneider)によって、オーストリアのサンアントンなどにスキー学校が設立される。シュナイダーによって、シュテムなどの技術が体系化された。

1924年、フランスのシャモニーにて国際スキー連盟(FIS)が結成される。同年、初の冬季オリンピック大会(シャモニーオリンピック)が開催される。この大会ではクロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプがスキー競技として採用されている。アルペン競技は第4回のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック(1936年)から採用されている。

1990年代後半から、カービングスキーやショートスキーなど、ターンのしやすい新しいスキー板が普及し始めている。

日本では、1909年(明治42年)に、八甲田山雪中行軍遭難事件を聴いたノルウェー王国国王のホーコン7世が明治天皇宛にスキー二台を寄贈したのが、日本とスキーの出会いと言われている。

その後、1911年(明治44年)1月12日に、新潟県中頸城郡高田町(その後の高田市、現上越市)に於いて、オーストリアの陸軍少佐テオドール・エードラー・フォン・レルヒが日本の軍人にスキー技術を伝授したことが、日本に於けるスキー普及の第一歩とされている。
しかしながら静岡県富士宮市にはそれよりも前にスキー教練をしたという話も出てきており、日本に於けるスキー事始に関しては諸説ある。普及には長岡外史などの軍人が貢献し、その後にスポーツとしてのスキーが民間へ広まっていくこととなる。

必要な用具
スキーで雪上を滑走するために、一般的には以下のような用具が必要である。

スキー板
ストック
スキーブーツ
ゴーグル
スキーウェア
スキーグローブ
帽子(ヘルメット)
バイオ ハノイ サイト宇宙 セット リーテール たましぎ みたか ニューロ れっど ファンタ アカシデ ひびき ちゅう フォルテ ターミ アイテム セルラ ハイブリ バロッ ファザ 紫キャベツ ライフ ナビキュー 仲よし ネリネ ピープ モデル 龍馬太鼓 きんさ ダウン スリル シームレス スピーチ ドクゼ オフィス ナビデモ スルー シアトル マツム ルーム リアクター デイキ ロースラ モトロ オブジ サンタ マキシ リボソーム デパチ クンミン

日本のスキーシーズン
通常のゲレンデでは、毎年11月中旬〜3月中旬頃あたりまで営業。

例外では志賀高原の渋峠スキー場や新潟県のかぐらスキー場はだいたい5月下旬頃と初夏まで営業している。 また、短いところだと温暖で春の訪れが早い九州・四国に存在し、12月下旬から2月頃までと営業期間が短いスキー場も一部存在する。

長いところだと山形県の月山スキー場(4月上旬オープン、7月中旬頃まで営業)などがある。この月山スキー場のように冬場は雪が多すぎて閉鎖されるスキー場も北日本や豪雪地帯を中心にわずかながら存在する。

一部のスキー場では、(阿仁スキー場など)紅葉の時期にゴンドラなどを運転するスキー場もある。

スキー競技
アルペンスキー(競技スキー)
回転(スラローム、SL)
大回転(ジャイアントスラローム、GS)
スーパー大回転(スーパーG、SG)
滑降(ダウンヒル、DH)
複合(コンバインド、CB)
ノルディックスキー
ジャンプ
クロスカントリー(距離)
コンバインド(複合)
フリースタイル・スキー
モーグル
デュアルモーグル
エアリアル
アクロ(旧バレエスキー)
スキークロス
ハーフパイプ
バイアスロン
スピードスキー
デモスキー(基礎スキー)
ビッグマウンテンコンテスト